いつしかブームになったセルフィー(自撮り)について、記憶に新しい人は多いかもしれません。
セルカ棒(自撮りを行うための道具)を持った若者を街中で見かけるのも、今では当たり前の光景となりました。
今でも存在し、当たり前の文化として定着したセルフィー文化ですが、ただ単純に記録や思い出のために皆セルフィーを行っているのか?その神髄には何があるのか?当たり前となったこの事象について、分析することが私の卒業論文のテーマでした。
自撮り文化に興味を持ったきっかけ
学科の講義で異文化コミュニケーションという講義を受講し日本と海外の文化比較に興味を持った私は、大学3年時に留学でマレーシアを訪れました。
現地で日本人以外の海外の人々が自撮りを行っていて日本では見られない光景が異様でした。
同時に、このセルフィー文化の背景や動機には世界の地域による違いもあるのではないかと思い、セルフィー文化を世界の地域と比較することにしました。
日本だけを分析するのではなく、海外のさまざまな地域とも比較分析していることがこのテーマの魅力です。
実際に論文を書くにあたり、本やネットで調べるだけでなく、大学校内の日本人100名をはじめ交換留学生100名にもアンケートで意見を聞いて反映しました。
田舎の大学だったのでアンケート調査に苦労しましたが、どうにかしてリアルな声を聞きたいと実施し、夏休みにはセルフィー大国と言われる韓国に現地調査にも行きました。調べるだけではない、生の声や調査データも反映した論文となりました。
セルフィー(自撮り)の歴史
私の論文は「セルフィーの歴史から現状→地域の調査→分析→まとめ」という流れになっています。
最初は、水や鏡に自分の姿を映すことから始まった、セルフィーの歴史についてから論述しています。
1839年に初めてセルフィーをしたという歴史的データからも、昔から自分を残したいという欲求は存在していたことが分かります。
そして、2014年の最高の発明品と騒がれた、流行の代物となった自撮り棒の世界初の発明者は日本人なのです。
しかし後にカナダ人が特許を取り売り出したことよりこの情報はあまり知られていません。時代の変化とともにセルフィー文化が広まり、人々のニーズに合ったタイミングで自撮り棒も注目されるようになったことが考察できます。
セルフィー(自撮り)の地域調査
セルフィーを撮る割合や賛否の割合は世界の各地域によって違いが見られました。セルフィーと地域に関して、さまざまな文献や調査を通して3つの観点から分析しました。
1つ目は「セルフィーとナルシシズムの関係性」です。セルフィーを撮ることは自己承認欲求に基づくナルシシズムとの関係性があると仮定しました。『自己愛過剰型社会』という文献では、アメリカのナルシシズム人口の割合がかなり拡大していることが述べられています。
一方で日本は食文化や教育の現場においてもアメリカの風習を古くから取り入れる傾向にあるため、アメリカ文化を受け入れることでセルフィー文化も徐々に浸透していったのではないかと考察しています。
2つ目は「セルフィーと国民性」です。個人主義と集団主義文化の分布は世界各国でもバラバラに分布しており、関係性を見つけ出すことは困難でした。
しかし、世界各国でセルフィーがはやっていることから、個人を尊重する国民性の中でも、集団との同調を重視する国民性の中でも受け入れられるマルチな文化であると考察しています。
3つ目は「セルフィーとメディアの関係性」です。各地域のネット環境やSNSが普及しているエリアでは、セルフィー文化が発達していることが分かりました。メディアやインフラの普及によりナルシシズムや承認欲求が強まったことが予測できます。
他者よりも見られることを重視した文化も広がり、ますますセルフィーのためのメディアは発達。この循環がセルフィー文化を生み出したのだと考察しています。
セルフィー(自撮り)の未来予測
これらの分析と考察より、セルフィーは現代の技術(インフラなど)の発達と、人々が求めるニーズ(自己承認欲求など)がうまくマッチしたことで流行となった一つの文化だとまとめています。
また、セルフィー文化が浸透することは人に写真撮影を依頼することや、一緒に写真に映るなどのちょっとしたコミュニケーションの変化も生み出しています。セルフィー文化は、人との交流の希薄化や一人社会が増加している現代の写し鏡でもあるとまとめています。
そして今後は、セルフィーが流行ではなくなったとしても、一種の文化という形で存在し続けると予測しています。文末にセルフィーの予測として、「今後は写真以上に動画撮影のはやりや、中継などのビジネスシーンなどでもセルフィーが活用されるのでは」と述べましたが、まさにSNSでTikTokがはやったり、Youtuberを職業とする人が脚光を浴びる近年では、この予測はあながち間違ってなかったかと思います。
卒論執筆で英語も上達
私の卒業論文は、担当の教授がカナダ人だったこともあり、全て英語で書きました。調べることも大変でしたが、やはり正しい英語にすることにも労力を使いました。
そして何より、カナダ人の教授はとても楽天的なので私が切羽詰まっていても「HAHAHA,ダイジョウブ!」という感じで、多少の温度差を感じました。
しかし、最後までしっかり見て頂き、英語も上達したので大学のラストスパートにとてもいい経験をしたと感じています。
私の卒業論文のテーマは珍しく、他にもない内容だったので就職活動時には面接官にも興味を持ってもらえ、会話が盛り上がった点は良かったです。
(文・y)