就職氷河期の始まりに、女性の社会進出をテーマに卒論を書く

在籍していたのは経済学部経済学科の国際経済コースでしたが、大学3年生のときに入ったゼミの先生が人類文化学の助教授だったので、テーマが経済学から少し離れて「女性の社会進出について」というタイトルで卒業論文を仕上げました。

ゼミの先生はアメリカのホピ族の話しを講義で取り上げていました。さすがに経済学部のゼミでは社会学みたいなことを主にしていました。

就職氷河期の始まりと女性の社会進出

私が大学4年生のときは平成に入ったばかりの1990年代でした。1年浪人して入学した次の年にバブル経済が崩壊しました。だからバブル末期ではあっても先輩たちが結構スムーズに就職先を決めていたのを見ています。

次の年からは、どんどん就職内定率が下がっていったようでした。ちなみに男女雇用機会均等法が1986年に施行されて4年制大学卒業の女性総合職が誕生し、その後の女性の働き方が模索されていた時代でした。

バブル期に就職した女性は結婚したら寿退社して家庭に入るのが通常でした。せっかくの男女雇用機会均等法が全く活用されていないように感じていました。そのような理由で女性の社会進出をテーマに卒業論文を書くことにしました。

女性は晴耕雨読すればよいのか?

1986年から男女雇用機会均等法が施行されましたが、では、なぜそのような法律が必要だったのか、と時代をさかのぼり、女性の進学率の推移にまで原因を求めることになりました。

『二十四の瞳』の主人公の女性は教師です。もちろん、師範学校を出ていて教職に就いたわけですが、その時代には誰でも進学できるわけじゃなかった。

頭脳だけでなく授業料を払わなくてはならず、家が農家なら農作業をしてくれる手が減るわけです。そして、女性にも教育が必要という親の教育に対する考え方が、つまり、親が進学を許可しなければ受験もできなかったわけです。

また、結婚せず実家の農業を手伝いながら、女性でも晴耕雨読をすればいい、と主張し頑張った方の資料を読みました。いまでも、その時感じた何かが思い出されるので、よほど印象に残ったのでしょう。

結論として、女性に晴耕雨読は無理だと言うことでした。なぜかと言うと、女性は賃金の出ない家事という労働を課せられるからだとのことでした。

当時、家事を時給換算してみるとうたって、ものすごい低賃金を提示し、世の女性の反感を買った男性研究者がいたくらいですから、無理もない話しです。

シャネルスーツと女性の社会進出

そして、働く女性のためにデザインしたスーツを発表したフランスのブランド「シャネル」についても記述しました。

女性をコルセットから解放し、加えて、動きやすいようにスカートの丈を短くしたシャネル・スーツのことです。

シャネルスーツが発表され大ブームを巻き起こした背景には、女性の社会進出があったからです。男性のダークスーツよりも華やかで活動的な、ココ・シャネルの打ち出した働く女性のためのスーツは時代の象徴だと思います。

また、女性が社会に出て働くと言うことは、女性である部分を捨てて、男性のように働くことではないはずです。管理職に就くために、女性は男性の何倍も成果を上げなければならず、当然ながら、すべての女性がそのような猛烈な働き方ができるわけではありません。

その後、もっと動きやすいパンツ・スーツが世に出るのですが、実際には、パンツ・スーツを禁止していた企業もありました。

スカートを女性的で良いとした、そのドレス・コードは、見事に女性自身の手で打ち砕かれ、現在に至るのです。生き方について同じ型にはまる必要はなく、それは男性でも女性でも同じだと感じています。

卒業論文をきっかけに大学院進学を目指した

卒業論文の執筆と就職活動の両立が大変でしたが、就職先が決まったときには卒論ができていないのですから、就職に卒業論文は関係しません。

関係するのは大学院進学を希望する学生ではないでしょうか。そして、あとで知ったことですが卒論を提出しなくても、私の卒業校ではゼミの単位がもらえるとのことでした。

なんのために卒論を書くのか当時は理由が分かりませんでしたし、大学を卒業するための、ある種の形式だと考えていました。その後、一念発起して大学院への進学を志し、独学で勉強をはじめることとなったのですが、大学在籍時に卒業論文を提出したことが大学院を志したキッカケになったと思っています。

テーマを自分で決めて調査しながら卒業論文を書いたことが、けっこう楽しかったのです。

学部であれ、修士であれ、博士課程であれ、論文を執筆する基本のルールがあります。内容もさることながら、その基本のルールを無視してはいけないのだと、そのとき知りました。

つまり、内容が良くても、参考文献を一冊も読まなかったり、引用の出典元を示さなかったり、ということでは折角仕上げてもリジェクトされるということです。その理由は、論文は研究の連続であるからです。

自分の前に同じことに興味を持ち、研究してエビデンスを示し、認められた成果をもとに自分たちも執筆するからだということです。卒業論文を提出せず卒業していった同級生がいましたが、私は大学での勉強の総括という意味でも頑張って提出してよかったと思っています。

(文・Ma-Na)