日本では、刑法で死刑が規定されている犯罪があります。
死刑の廃止・存置は難しい論点で、国民の意識調査では、存置が多数です。
なぜ死刑はあるのか?
なぜ、刑法では、「~した者は、死刑に処する」と規定されているのかを巡っては、2つの考え方があります。
犯罪を思いとどませる心理強制説
まず、一般予防といわれる考え方は、法律で国民を威嚇しておいて、心理的に死刑になりたくなかったら、犯罪の実行をやめておこうであろうとするもので、ウォイエルバッハの心理強制説と言われます。
絶対に犯罪を防ぐ特別予防
もう一方は、特別予防、つまり、犯罪を行った者を死刑に処しておいて、絶対に再犯をできなくして、ひいては社会を防衛しようとする考え方です。
一般的には、前者を中心に後者の見解も取り入れる、相対的応報刑主義が多数です。
死刑に対する非難
しかし、果たして、今まさに犯行を行おうとしている行為者が、刑罰を科されるから、この行為を止めておこうという冷静な判断が必ずしも行えるものとは思われません。
ところで、憲法論として、死刑は違憲であるという見解がありますが、現行憲法は、死刑を容認していると解するのが妥当であり、違憲、つまり、死刑は残虐な刑罰には当たらないと思われます。
また法哲学上の問題として、死刑は人が人を殺す制度であるという非難があります。
これは、非常に難しい問題で、裁判員、裁判官、死刑執行人にとっては苦渋の行為ですし、精神的な負担も大きいと思われます。
死刑制度における冤罪の問題
死刑制度を語る上で、避けて通れないのが、誤判、つまり冤罪の問題です。
確実に証拠もあり、自白もあり、客観的に重大な事件であれば、その事件は、死刑判決でよいとの見解もありますが、果たしてそうでしょうか。
私は、1955年10月18日、宮城県志田郡松山町(現、大崎市)で、一家4人が殺害された放火殺人事件を検討しました。本件は、再審無罪事件です。
別件逮捕とは
注目すべきは、捜査方法です。
まず、別件逮捕が行われています。別件逮捕とは、重罪(本件)の取調べ等をする目的で、微罪(別件)で逮捕、勾留することです。
これは、裁判官が逮捕状を出す罪と異なった罪の捜査をすることですから、令状主義の精神を没却するような重大な違法が認められる場合もあります。
証拠の捏造
次に、証拠の捏造が問題となりました。また、警察が前科何犯ものスパイを留置所内に送り込んで自白をするように被告人にすすめたという事件でもありました。
この事件は、後に再審で無罪となります。警察は、当時は、素行の悪そうな人に目をつけて無理やり犯人仕立て上げることをやっていたのです。
死刑判決の「永山基準」とは
死刑判決を出す基準というものが、最高裁判例でありまして、それは「永山基準」といわれます。
犯行の客観的側面(事件の重大性、被害者数、社会的影響等)と被告人の主観的側面(情状、被害者への謝罪等)を考慮してやむに已まれない場合に死刑を選択し得る、という基準です。
しかし、裁判官も人間ですから、犯罪の客観的側面を重視し死刑判決を下す裁判官もいれば、主観的側面を重視して無期懲役にする裁判官もいます。
これは、裁判官の微妙な感覚の差でして、これによって死刑か無期懲役かに分かれるのは適切ではないと弁護士会は批判しています。また、日本が死刑制度を存置していることに対して、海外の人権団体は、抗議しています。
団藤重光博士の人格責任説
死刑制度について研究するうえで、故団藤重光博士の「死刑廃止論」を読んで、刑法上の責任について深く考えさせられました。
団藤先生は、人格を正しく形成しなかったことが刑法上の責任を問われる根拠となるとの人格形成責任(人格責任説)を提唱されました。
幼少期から自分の責任で、たとえ周りの環境がよくなくとも善良な人になるべく、正しく人格を形成すべきであるという見解は、説得的です。
しかし、刑法上の責任は、規範的責任説といって、法規範に直面した時に、適法な行為を行えるような期待の可能性があったかどうかで判断するのが、通説です。
以上のように、様々な点を検討した結果、私は将来的には死刑は廃止されるべきであって、それまでの間に、そもそも死刑を科されるような重大な犯罪が発生しないような政策が行われることを期待しています。刑事政策の最善の方法としては、経済政策が必要であるとの考えもあります。
2人の先生から指導を受け、大学院進学へ
私は大学4年の時にこの論文を書いたのですが、3年生の頃までは不勉強で、4年時に何と2人の先生からご指導を受けることができたのには、感謝しております。
また、指導教官でない先生には数々の文献を紹介していただき、死刑廃止を求めるアピールや死刑存廃論の系譜にまで深く追求した研究になりました。
指導教官からとても優秀な成績をいただき、大学院進学につながりました。