新安保法と2.26事件を結びつけ卒論に…昭和初期の本当の日本

歴史学の卒業論文のテーマは、2.26事件をはじめとする昭和初期の政治思想にした。

この時代は、日本史の中で見ても最も政治思想が充実しており、国家の在り方について激しい議論が交わされた。

ここでは、私の卒業論文のテーマ選びに影響を与えた安保法制の問題と、卒論で考察した昭和初期の政治思想の一部を紹介する。

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2015年安保法制がきっかけに

卒業論文を執筆しようとしたきっかけは2015年の安保法制をめぐる議論である。

満州事変のときのように自衛隊が海外にいて攻撃を受けたとして軍事行動を開始した場合、政治がそれをコントロールすることができるのかというのが率直な疑問であった。

このことを考えた時、日本史において軍部が暴走した時代の政治と軍の関係を分析することが有効であると思った。いかにして政治と軍部は時代を変えようとしていたのかということへの興味が高まったのである。

自衛隊が他国の軍隊から攻撃を受けたら?

自衛隊は海外に派遣された場合、治安維持活動や平和活動を行うことを任務としている。

しかしながら、もし他国の軍隊から発砲を受けたとき自衛隊は黙って専守防衛の立場をとるべきであろうか。

攻撃してきた軍隊に対し少なくとも自衛のための反撃を行うことは当然の論理である。切迫した問題として派遣地域で自衛隊が軍事活動を開始した場合にいかにして政治が最終的に事態を収拾するのか、文民による軍事の統制、いわゆるシビリアン・コントロールをいかにして行うのかという問題が深刻であると考える。

同盟関係にある国が攻撃を受けたら?

新安保法は日本と同盟関係にある国が第三国から攻撃を受けた場合、同盟国の支援を行うことが立法の本旨である。

いわゆる集団的自衛権の行使である。新安保法制に反対する人々は日本国憲法第9条の平和主義をもとに集団的自衛権の行使に反対した。

しかし、これは短絡的な議論である。

理の当然として法律的に規定されていないとしてもアメリカを筆頭とする同盟国が攻撃された場合、日本が紛争に巻き込まれることは明らかである。米軍基地を多く抱える日本が攻撃対象となることも現実的な問題である。

その際の日本のとるべき道を法制化しておくことには一定の意義がある。法によらない恣意的な政治行動は危険である。さらに日米安全保障条約で日本の防衛義務を負っているアメリカが攻撃を受けた場合、アメリカを軍事的に支援することは、法律的問題としてではなく倫理的問題として当然のことなのである。

アメリカに抑止力を依存していながら日本がアメリカを支援しないということは信義則の観点から妥当ではないと考える。さて、そこで有事の際、政治がいかにして軍事を統制するのかということを法制化しておくことは重大な意義を持つのである。

昭和初期の日本に現れた政治的ムーブメント

明治維新から約半世紀ほど過ぎた日本。

大正時代から昭和初期の日本。維新以来国家を支えてきたシステムが次第にその存在感を失っていった。人々は変化を望んだ。世界史的な視点で見ても第一次世界大戦を経て時代は変化し、それはもはや押しとどめることのできない歴史的流れであった。

国家を根底から支えているものへの懐疑。当たり前のものと考えられていたものへの懐疑。こうした現実への危機感が人々を政治的ムーヴメントへと駆り立てた。新しいロマンティシズム、新しい季節へのあこがれがこの時代の日本には存在したのである。

政治的ロマンティシズム

キーワードは「ロマンティシズム」である。時代を動かす人は一定の理想、イデアに想いを寄せて、その実現に向かって行動する。

情熱的であることがロマンティシズムなのである。そうしたロマンを持った人々に歴史は時には甘美で、時には残酷な結果をもたらす。

戦前の日本政治においても様々な人が、様々な立場で新しい時代を構想した。

明治システムに限界を感じた戦前期の人々が考えた新しい政治こそ日本の歴史における政治的ロマンティシズムの極致であった。

昭和初頭の日本の実際の姿とは

一般的に昭和初頭は大日本帝国という国家が戦争へとひたすら走り続けた時代として一元的にとらえられる傾向にある。

しかし、この時代、政治家も軍人も軋み始めた明治システムをいかに改変していくのか、ということを命をかけて真剣に考えていた。

歴史に刻み込まれた武力というハードパワー、政治的現状打破というソフトパワー、そして体制内変革というリアリズムは彼らの思想の表明なのである。

このように多様な選択肢があり、多様な可能性があった時代が大正後期から昭和初頭の日本の実際の姿なのである。

国家体制の変革という彼らの思想のダイナミックさ、自己の理想というロマンティシズムへの絶対的な信頼は単なる軍国主義として看過されるべきものではない。

戦前の日本の政治家や軍人にはいかにして日本をより良くするかという問題意識をもとに思想的にそれを体系化し、行動に移すという確固たる意気込みがあった。それこそが私が卒業論文でとりあげたロマンティシズムであり、戦前の歴史の醍醐味なのである。

軍をいかに統制するかという課題

戦前の日本のように政治が軍部に押し切られては真の平和など訪れない。政治と軍の関係の規律、いかにして軍に対して政治が優位に立つかという問題こそ解決されなければならない深刻な問題なのである。

言うなれば、軍をいかに統制するかということが明治維新から今日に至るまでの日本を貫く課題である。それゆえに満州事変から太平洋戦争へと至る戦前の政治の攻防を頭に入れておくことは意義のある行為なのである。

外交的平和的手段と軍事力

戦後日本は世界史における東西冷戦の中で民主主義、自由主義を基調とする西側陣営に属し、経済的繁栄を謳歌してきた。

しかし、社会主義陣営が次々と民主化されていき、ついに東側陣営の盟主であるソ連が崩壊すると世界はアメリカ主導の下で安定に向かうかに見えた。しかし、現状を見るならば、局地的紛争やテロリズムが横行し、世界は極度に不安定化している。

日本が冷戦後の流動化する国際情勢に対応するために外交的平和的手段をとる努力をしなければならないことは当然である。

しかし、外交手段によって対処しきれない不法国家から日本を防衛するためには軍事力が絶対に必要である。

法的根拠を持たない自衛隊の不安定な地位

戦後の日本は憲法9条を基調とした平和主義を建前としてきた。

しかし、実際のところアメリカと自衛隊の抑止力が日本を防衛してきたと見ることも見当違いではあるまい。

自衛隊の設立以来、自衛隊が戦力なのかどうなのかということはナーヴァスな問題として残り続けている。

憲法学説的には違憲とされる組織を政府解釈によって合憲としてきたプロセスは何とも危ういものである。今の状態では大政翼賛会が法的根拠がないとして批判されたように現憲法の下では自衛隊も法的根拠を持たない。

強大な武力集団がこのような不安定な地位に置かれていることは国家システム上極めて危険である。アメリカとの同盟を維持しながらいかにして自衛隊というものを憲法をも含めた国家システムの中に取り込んでいくのかが今後の大きな課題になる。

さて、このような内容で卒業論文を書き終えた私だったが、もっと多くの資料を使えればよかったと思った。

この卒業論文がきっかけとなり、昭和初期の政治について研究したくなり、大学院に行きたいと考えるようになった。