卒論で未来予測!?90年代の大学生は中流階級の将来をどう見たか?

私は1998年に経済学部経済学科を卒業して、「日本の中流階級は今後どうなるか?」というテーマで卒業論文を作成しました。

経済学者には、大きな世の中の流れを描く経済学者と、特定の産業や経済の動きに特化した研究をする経済学者がいます。私は前者の経済学者のもとで社会経済学を学んでいました。

私が学生時代だった1990年代後半、バブルが崩壊して混迷の中で日本は様々な社会の変化を遂げます。規制緩和、IT、公社の民営化、大手金融機関の合併・倒産・価格破壊、リストラ、いろんな新しい言葉が生まれました。

在宅で稼げる! 女性におすすめの副業8選
在宅で気軽に稼げるお仕事が増えています。バイト感覚でお小遣い稼ぎをするもよし、ストレスの多い本業を辞めて在宅メインで働くもよし。 自分に合った副業を見つけて、今よりも楽で、素敵な生活を手に入れましょう!

バブル崩壊後、21世紀の日本はどうなる?

バブル崩壊までは高度経済成長を遂げて平等な富を得たはずの総中流日本人が、誰もが予想できない21世紀に突入することに不安を持っていたころでした。

経済学部生として、マクロベースで日本人の資産構造がどうなるかを好奇心を持っていました。また、これからの将来を、私を含む中流日本人がどう受け止めていくのか?

その価値観も同時に気になっていました。過去の文献、いろいろな方との議論の中で、自分の中で答えを出したいという魅力に駆られて、このテーマを選びました。

日本の中流階級とは

はじめに、高度経済成長以降日本は第二次産業の発展に伴いGNPも物価も大幅の向上した。先進国の一角を担い、国民は富を得ることができた。

余暇を楽しみ、三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレビ)と呼ばれる電化製品を持ち、余裕のある生活を送れる人が大部分の世の中を送れるようになった。

所得、資産のバラつきが少なくなり一億総中流化と呼ばれるようになった。この当時の大部分の国民を「中流階級」と定義する。しかし、バブル崩壊以降、物価は下落しはじめ、日本の経済成長率も鈍化しはじめている。産業構造が変容して、富に翳りが見える中、一般的な中流階級は果たして、今後も継続できるか? 自分なりに推測してみた。

20世紀末期に至るまでの資産構造の背景

はじめに戦後から20世紀末期に至るまでの資産構造の背景を整理しておこう。

戦後から20世紀末までの中流階級

所得が中心値集中型の資産構造の状態で1960年~1990年までは物価と比例して各世帯ごとの資産額や収入が上昇していった。そしてバブル崩壊以降は上昇が頭打ちした。

消費の冷えに合わせるように、消費財が価格破壊を起こし始めた。第二次産業の生き残りをかけて技術革新を行い、またその当時は海外での生産をはじめた。以前の中流階級の生活の豊かさを保つために「作り方」、「売り方」の変革で消費社会は対応しようとした。しかし、一方で従来産業は疲弊して国力は弱りはじめた。

所得面での豊かさの背景

この時代に至るまでは、所得に関しては、職業威信度(東京大学ではどういう職業がリスペクトされるかを偏差値化している値がある)と比例していたというデータを確認した。士業、頭脳労働者、技能労働者、肉体労働者 という順序に並べられていた。

所得も比例するような状態であった。一般的に、イメージとして所得と比例して、生活を便利にする(白物家電のような)耐久消費財を持っていたということである。しかし中間化によりどの階層にも生活を便利にする電気機器などはいきわたるようになった。

所得が下がり格差が広がり始める

当時の傾向では上述したように大手企業同士の合併、NTT・JRのような公社の民営化、外資企業の参入など、大企業が勝ち組と負け組に別れ集約化されていることが言える。淘汰された企業、その企業のパートナーとして働いていた企業は厳しい状態になる。

一方で若年層が従来の構造の中に入り込める機会が少なくなる。今までと異なり、所得・資産の中間値は下がってしまい、また格差も出てきていた。

90年代の大学生は中流階級の将来をどう見たか?

こうした状況の中で日本は貧しい国、生活が苦しい国になってしまうのであろうか。この構造に対して対応する消費材を提供できる体制を作り出すのが産業の使命になっている。

流通ルートの効率化、製造業の自動化等を推し進められており、これが今後も持続することが予想される。現在「パソコン」、「携帯電話」、「デジタルカメラ」等が安価になってきており、誰でも購入できるようになってきている。

経済が冷え込みながらも、豊かで便利な生活になりつつあるように思える。モノ自体ではなく、情報や技術等ソフト面での強さを持つ企業やそのものをサービスとして提供する企業が強くなるものと予想する。

広がる所得・資産格差と比例しない生活の豊かさ

今後は富という価値観だけでは構造は変わる可能性はある。また所得の階層の順序は、従来の「士業、頭脳労働者、技能労働者、肉体労働者」という順序ではなく、独自性のある情報・技術などの無形価値を提供できるかということに変わってくると思われる。

しかし、富裕者向け商材、一般大衆用商材の本質は、あまり変わりがなくなってくるように思える。これは上述したように、どの階層に対しても十分な機能の製品を遍く提供することが産業の使命であるからと考える。富裕者向け、一般大衆向けの違いは、こだわりであったり独自性になってくるように思われる。富裕者に特化したニッチなビジネスも増えてきている。

中流階級を維持する上での課題

このように中流階級はこの先も中流階級であり続けるように「日本の企業」は消費社会では努力するように推測する。しかし、日本は将来の少子高齢化や産業空洞化などを考えると生産性が伸びずGNPが伸び悩み、信用性が下がる可能性がある。

海外の資本や生活形式が入り込むと、この心地よき安定状態を保てなくなる可能性がある。そうならないためには我々は、生産性を上げること、日本が価値を付け加えて輸出できる製品(情報、技術、精密機器など)、無形価値(情報、技術)の開発を強化することが必要である。

経済学部の優秀論文に

あまり勉強しない体育会系の学生だったのですが、書籍を読み漁り議論を何度と行った約3か月間の卒論作成時期は私にとっても貴重な経験でした。学部より優秀論文を受賞することが出来たので、大学を卒業が出来たという実感を得れました。

すでに就職先内定をもらってからの卒論なので、就職への影響はあまりなかったのです。就職して後にレポートを作成する上で「事象を論拠として、仮説を立てるという習慣がつけれた」ことは論文作成をする上で役立てたことだと思っています。

卒論の課題が「大衆の消費社会」に関連しています。製造業に従事する上で今後の動向を読み生産・物流戦略につなげるというアイデアを生み出す上で、この論文が書いたことが今でもエッセンスになっているように思っています。

(文・経済学部経済学科 1998年卒業 20世紀末の学生)