日本人にとっての天皇制…なぜ源氏物語の主人公は藤原氏ではないのか

源氏物語には天皇から皇族、公卿といった異なる身分の登場人物がいます。私はそうした人物の描写を考察することで当時の日本人の階級意識が分かると考えました。

世界で一番古い王族と言われる天皇家が、日本人にとって平安時代はどういった認識だったのか、現在も紆余曲折がありつつも未だ続いている皇位がどういったものなのか、考察してみたくなりました。

「源氏物語と階級意識」あるいは「日本人にとっての天皇制」というテーマを掘り下げてみることによって、源氏物語という文学作品の価値を再認識できるのを魅力に感じました。

なぜ権力者である藤原一族が主人公ではないのか

源氏物語が書かれた時代は藤原摂関政治が全盛時代だった寛弘期です。

作者である紫式部が活躍した時代の時の権力者は藤原道長で、紫式部が使えた一条天皇の中宮の彰子も藤原道長の娘です。

藤原道長は自信家であった方らしく、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることもなしと思へば」、この世は我が世とも思う世の中だ、あそこに輝いている満月と同じように欠けてるところがないのだからと歌う程の、今の言い方でいうと「ビッグマウス」な人でした。

それなのに、源氏物語の主人公である光源氏の君は、藤原氏にとってのライバルの一族である氏姓源氏の貴公子が主人公であり、位を極め栄える物語です。なぜ道長が物語を書くことを許したのか、主人公が権力者である藤原一族ではなく源氏の一族なのかを考察しました。

源氏物語の世界と実際の政治の違い

昔、天皇の子供だけれども母の身分が低い場合、皇族扱いをすると莫大な税金をかけた経費がかかるので「源」という名前などを与えて、臣籍降下した一族がたくさんいました。

光源氏の君もこういった氏姓源氏の一族なのですが、現実の氏姓源氏の一族は藤原氏に実権を握られてあまり政治の表舞台では活躍せず、物語の光源氏の君のような活躍をしていないということが分かりました。

物語では、その他にも光源氏の幼女であり身分的には先帝の娘という内親王を中宮にすることに成功していますが、実際はこの当時の中宮は藤原一族がなり、氏姓源氏の一族から出た中宮は平安時からは存在しないことが分かりました。

天皇家への畏敬と源氏への憧れ

どうして、現実とはかけ離れた内容の物語だったのか、それは、その当時の他の物語や日記から当時氏姓源氏の貴公子は藤原一族よりも憧れの存在だった、そういった意識は、天皇の皇子だけれども臣籍降下をして少し身近になってその当時の女性たちがこういう貴公子がいたらいいなという存在だったということを感じました。

そういった憧れになる影響は、当時の天皇制による思想的な面が大きいという内容です。

当時の人々にとって天皇家というものは神格化された存在であり、政治の実権がなくても藤原摂関家を含めて、天皇家の血筋に対して潜在的な畏敬の面をもっていました。

貴族たちの間では氏姓源氏は藤原氏よりもはるかに高い家柄と考えられていて、そのために政治的ライバルの一族であっても王家の血筋である氏姓源氏が繁栄する物語を容認したのではないかということでした。

そして、政治的には不遇である氏姓源氏が、物語の様に政治の中心に立つということが理想であると考えていたのではないかという結論に達しました。

締めくくりとして、源氏物語は、物語の優美さ、心理描写の巧みさ、話の展開の面白さ、いろいろの人がたくさん研究してもまだまだ出てくる魅力がありますが、日本人の潜在意識に天皇家に対する畏敬の念があったことも物語が千年という時を耐えて、今もたくさんの人に読み継がれてきた要因の一つなのではないかと考えました。

卒論執筆後も研究を続けたい

この卒業論文を提出して、教授にあなたの意見には賛同できないと言われてしまいました。

ただし、あなたはちゃんと自分の意見を書いていると言っていただいたことを覚えています。

当初は、研究者も多く、たくさん論文も出ている源氏物語の何を掘り下げようかと模索して、単純になんで光る源氏なんだろう?光る藤原じゃないのね?といった感覚で始めた研究でしたがもともと、歴史が好きで、万葉集や古今和歌集といった歌集も読んだことがあったのもあり、その二つを読みながら達した結論が研究した内容でした。

飛鳥時代から平安時代までの物語や日記や歌集を読んでいると、皇族や氏姓源氏への憧れを感じます。源氏物語は、要はあの当時の少女漫画のような位置づけで結局は出生や性格、行動、政治的立場も平安時代の女性が憧れる男子を具現化したらこんな感じなんだろうというものでした。

正直、この内容はまだまだ未消化で、研究し足りなかった部分も多く、学生生活はもう帰ってこないからもう少し時間をかけてゆっくり研究すればよかったなと思っています。

ただ、卒業論文としては執筆できなくても研究は出来るので、この文章を執筆したのを機にもう一度この研究をやってみたいという意識が戻ってきたのを嬉しく思いました。

(文・こうじろう)