日本の刑罰の特長は?刑の一部執行猶予、週末拘禁を卒論で提案

法学部に入り、刑法に興味を抱いて刑法ゼミに入りました。

そこで刑務所への見学に行きました。

そのときに受刑者が誕生月にケーキを食べられるという話を聞きました。

その時、僕自身は「人間らしくて良い」と感じました。

しかし、ゼミの他の学生は「犯罪者なのに甘すぎる」などの意見がありました。

この時に刑罰に対するイメージが個々人によって全然違うことを肌で感じました。

そこで刑罰の在り方を改めて考えてみたいと思って、「刑罰の多様化」をテーマを選びました。

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日本の刑罰の特長1.刑罰の長さと社会的制裁の継続

日本では犯罪者を社会的に排除しようという傾向が他の国と比べると強いです。

これは文化的には「村八分」の名残で秩序を乱した者を許さないという発想です。

なので、例えば懲役5年という刑期を終えても、戻った社会では就職など様々な面で制裁が続きます。悪いことをしたのだから当たり前という意見もあると思います。

でも、それでは刑期とは何のかという本質的な問題に戻ってしまいます。

日本の刑罰の特長2.収容施設の日常との乖離

刑罰では、死刑を除いていつかは社会に復帰することが予定されています。

それを前提に刑罰を考えてみてほしいです。

例えば30年間服役した人が社会に戻ってきたとしましょう。でも、その人は30年間、監視され続け、他の受刑者と同じ牢屋の中にいます。
プライバシーなんて感覚はなくなるでしょう。

また、スケジュールを自分で立てずに刑務官の言うとおり生活して、自分のお金を使うこともありません。そして、30年前の社会しか知らないということはパソコンも携帯も使ったことがない。

こんな人がこの2020年代に戻ってきて、日常を送れるかというと凄く難しいと思いませんか?

ジレンマなのですが、刑務所での生活が受刑者の感覚を社会と乖離させてしまうのです。そして、また犯罪をしてしまう。

その結果、出所してきた受刑者に対する社会のイメージが悪化して、社会復帰が更に難しくなる。という負の連鎖に陥っています。

刑罰の提案1.刑の一部執行猶予

少しでも社会へ戻すのを早くしないと…ということで、刑の一部執行猶予というものを提案しました(※これは現在すでに運用されています)。

懲役10年、一部執行猶予期間を4年とした場合を例に説明します。

まず8年まで刑務所で過ごした後に残りの2年を「執行猶予」という形で刑罰を停止させます。

そして、社会に一旦戻します。

一部執行猶予期間の4年の間に問題があれば再び刑務所に戻り残りの刑期2年を執行します。

仮釈放との違いは、2年の刑罰が停止している部分です。仮釈放は、仮釈放の期間も刑罰が進行しています。

しかし、この一部執行猶予は進行するのは刑罰ではなく執行猶予期間です。

そして、この執行猶予期間は残刑期よりも長く設定できるので、より長く犯罪に手を染めることを抑止すると同時に社会復帰を早くすることができます。

これが有効とされるのは特に薬物犯です。

刑務所の中では当然薬物は使用できませんが、出所したらまた使用してしまいます。

という問題があるので、いち早く社会に復帰させ、社会の中で再使用をしない練習が必要なんです。

こういった形で犯罪者の特性に合わせて、より効果的な刑罰が執行することが大切です。

刑罰の提案2.交通事犯と週末拘禁

犯罪者の中でも、社会復帰を急ぐべきと考えるのが「交通事犯」です。

交通事犯は、反社会性が低くても過失などで重大な結果を生じさせてしまい、長期服役するケースが多いです。

こういった人は、社会性の面では社会生活から排除する必要が低いので、「週末拘禁」という形を提案します。字のとおり、週末だけ刑務所で拘禁されるという刑罰です。

罰を与えつつも、一定の社会的生活を引き続き行えるようにすることで社会全体の利益になると思います。

このように刑罰は、ステレオタイプのものから様々な形があります。

刑罰の新しい可能性

この論文を通して、今の刑罰を少し疑って、新しい可能性を感じて欲しかったです

これまで刑罰は、火炙りなどその当時は許されていても少しずつ訂正されながら改善されてきました。そして、現代も実はこの途中なのかもしれません。

完成したと錯覚しているだけで未来から見たら、未完成な制度なのかもしれません。こんなことって、刑罰以外でもよくあると思います。発展途中と捉えたら見えてくるものがあるかもしれません。

うちのゼミでは、他のゼミ生の前で卒論の内容を発表する機会がありました。

そこで発表したときにケーキを食べることについて批判していた子が理解を示してくれたときに凄く嬉しくて、一生懸命この論文を書いて良かったと感じました。

(文・まっちゃらて)