歴史学の卒論テーマに「幕末期の琉球」を選んだ話

幕末期の琉球というテーマには現在も研究に関する書籍を読むくらい、魅了されています。それもひとえにこのテーマが「面白そうに見えた」こと、実際取り組んでみたら「面白かった」ことに尽きます。

歴史学に限らず、研究というものには大きく、2種類あります。ひとつは、今までの研究成果を再検討するもの、ひとつは今まで研究されていなかった分野(人物や事件)を検討するもの。分かりやすく言えば、前者は教科書を書き変えるもの、後者が教科書を書くもの、とでもなるでしょうか。

当然、卒業論文も、このどちらかになります。私の卒論は後者ですが、大袈裟に言えば、「世界で初めて私だけが知る事実!」というものに惹かれました(厳密に私が初めてではありませんでしたが、当時の心意気はこのようなものです)。

「初めて知ったんだから、これを明らかにしなければ!!」という、使命感のようなものもあったかと思います。

歴史学の卒論で幕末期の琉球をテーマに選ぶ

大学で歴史学を専攻しようとする人は、ある程度歴史が好きで、ある程度歴史に詳しいと自負しているかと思います。私もまさにそうでしたが、そんな私でも知らないことが沢山ある!と興奮したこともこのテーマを選んだ理由の1つです。

ちなみに、大学に進学した時点で、やりたいと考えていた内容とは全く異なりました。それは、卒論テーマを決める3年と少しの間に、様々な授業、同期、先生との交流の中で、興味や関心が大きく移っていったからです。

あれも気になるな、これも気になるな、と色々な書籍や論文を読んでいくうちに、行き着いたのが幕末期の琉球というテーマで、特に琉球を訪れた外国人について、でした。

こういった経緯に加えて、このように沖縄の地域史を研究テーマとしましたので、よく他の方から「沖縄出身ですか?」と聞かれます。そしてその度に、違いますと答えています。興味関心がもともとあったのではなく、疑問に思ったことを突き詰めていったら、このテーマに私の興味関心が行き着いたのです。

琉球を訪れたフランス人宣教師フォルカード

天保15(1844)年に琉球に訪れ、そこから約2年間滞在したフランス人宣教師フォルカードという人物が残した日記の和訳を主として、その滞在期間中に、どのようなやりとりがあったのか、ということに焦点を当てています。

広く言えば、「外交史」となります。つまり、自国(この場合は琉球)と外国のやりとりの歴史です。

全3章の構成で、第1章では簡潔に当時のフランスの状況(特に政治状況について)、そして日本(東アジア)への進出理由をまとめました。なぜ、フランス人がこの時期に琉球に来るのか?という基本的な問いに応えなくてはならないからです。

フランスと琉球の会談に注目

第2章では、実際に琉球滞在中のフォルカードの様子についてまとめています。日記の他、琉球や日本の史料を用いて述べています。この2章が主たる内容になります。つまり、フォルカードという人物の行動を中心として、日々の交渉、手紙などの内容をまとめています。

フォルカードが琉球を訪れた理由はどういったもので、日々の言動にはどのような意味があったのか?当時の琉球や江戸幕府は、どういった意識でどういった対応をしていたのか?このような内容で執筆いたしました。

特に、フォルカードを含めたフランスと琉球の会談の様子には、多くのページ数を割きました。フォルカードを迎えに、弘化2(1846)年に琉球を訪れた、セシーユ提督という人物も出てきます。彼が琉球に現れてからの会談は、非常に注目に値するものでした(今でもそう思っています)。また、これに対する琉球側の返答も、非常に興味深いものでした。

一から琉球史を学んだ

最終章となる第3章では、ある事件の検討と評価を加え、その後の琉仏関係や、琉球を実質掌握していた薩摩藩の対応まで述べました。最後には、私なりの結論を述べています。

また、構成全体の話ではありませんが、「琉球」ついて述べる部分も多々ありました。私は生来、沖縄と関係がある人間ではなかったので、人名にしても地名にしても、政治システム等についても、まったく無知でした。

そもそも、琉球の地域史に関しても、高校教科書の域を出でいませんでした。ですので一から琉球史を学び、適宜註を付して語句の説明を行いました。

歴史学に限らず、人文科学という分野では、往々にしてこのような語句の解釈や定義などが求められますが、私の場合は非常に多くなったと思います。

卒論の直接的な内容ではありませんが、註をどうするかというのは、執筆時に非常に悩むものです。また、このように本論とは関係なくとも、知識として押さえておかなくては、口頭試問を乗り切れなかったかもしれません。

卒業後にも話題になる卒論のテーマ

正直に言いまして、そこまでちゃんとした卒業論文ではありませんでした。と言うのも、私は大学院への進学を希望しており、指導教授とも相談し、より発展的かつ詳細で意義のあるものは大学院でやろう、という方針が決まっていたためです。ですので、内容も(個人的にはしっかり書きましたが)歴史学としては、褒められるようなものではないかと思います。

このような状況でしたが、指導教授からは「よくまとまっている」とのお言葉を頂きました。ですが、「大学院ではこの卒論の質量ともに3倍のものを書いて貰う」とも言われ、少し焦ったことも覚えています。

大学院も無事修了できましたが、その際も卒論の研究テーマからほとんどブレることなく続けることができました。卒論のテーマから1歩踏み出すような、新しいテーマにも取り組みましたが周囲方々からは、「幕末期の琉球を研究している人」という目で見られ続けました。

卒業後に大学の同期と会うと、「卒論のテーマは何だった?」という話になります。私はたまたま大学院に進学したので人よりも長く歴史学の研究に取り組みましたが、そうでない人にとっても「卒論」とは4年間の集大成ですので、やはり思い入れが強いのだと思います。

(文・史学科 2008年卒業 ちゃむ)